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河合映画製作社かわいえいがせいさくしゃ1927年 設立 - 1933年 改組)は、かつて昭和初期に存在した日本の映画会社である。徹底した娯楽路線で、設立後わずか5年ほどの間に、470本を超えるサイレント映画を製作した。

略歴・概要 編集

1927年(昭和2年)12月、河合徳三郎が「河合プロダクション」として設立、北豊島郡三河島町町屋(現在の荒川区町屋4-5)にあった50坪程度(約165平方メートル)の小さな撮影所を「河合プロダクション町屋撮影所」として稼動を開始した[1]。第1回作品は、帝国キネマ芦屋撮影所を退社した松本英一里見明兄弟の兄監督、弟主演作『青春散歩』で[2]1928年(昭和3年)3月1日に浅草「キネマ倶楽部」および神田「新声館」ほかで公開した。第2回作品は翌週公開の悪麗之助原作・脚本・監督による『ふくろう組』と、『青春散歩』のオリジナルシナリオを書いた帝キネ芦屋出身の亀井清一監督、里見主演作『恋風に吹かれて』の2本立てであった。里見の主演2作の相手役には、浅草花屋敷(現在の花やしき)の舞台に出ていた少女・琴糸路を河合が発見してスカウトし、抜擢した[3]。悪は同作のみでツキガタ・プロタクションへ去る。

同1928年5月、「河合映画製作社」と改称[3]。また同年帝国キネマが北豊島郡西巣鴨町豊島区西巣鴨4丁目、のちの豊島区立朝日中学校、合併により廃校)に所有していた「巣鴨撮影所」を買収、町屋・巣鴨のデュアル・プロダクション体制になり、量産を加速させた。この年、64本を製作・配給している。1929年には81本、1930年には85本、1931年にはついに100本を製作、1932年には99本を世に出した。

1933年(昭和8年)、東亜キネマを吸収合併し、発展的に改組、「大都映画」となった。同年6月22日公開の同年43作目、吉村操監督の『悲惨の鉄路』を河合映画の最終作として、翌週29日公開、根岸東一郎監督の『新籠の鳥』を大都映画設立第1作として、直営館「河合キネマ」ほかで公開した。

関連事項 編集

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  1. 映画撮影所の町あらかわ」の記述を参照。
  2. 『日本映画俳優全集・男優編』(キネマ旬報社、1979年)の「琴糸路」の項(p.248)を参照。同項執筆は田中純一郎
  3. 3.0 3.1 『日本映画俳優全集・女優編』(キネマ旬報社、1980年)の「琴糸路」の項(p.296-297)を参照。同項執筆は盛内政志

外部リンク 編集

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